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4月12日(火) [矛盾について(その253)]

 ユングの「共時性」です。
 ぼくらは何かを知ろうとするときは「継時性」の中で動いています。流れる時間を追っかける形でものごとを理解しようとします。あることが起こり、しかる後にあることが起こる。その間に原因と結果の関係が認められるかどうか、というように頭が働きます。ところがときどき不思議なことが起こります。肉親が亡くなる夢を見たあくる日、電話でほんとうに亡くなっていたことを知らされて驚くというような経験です。夢の中の死と実際の死との間に継時的な因果関係は考えられませんが、しかし全くの偶然というには出来すぎています。こんな場合共時性を考えざるを得ない。
 河合隼雄さんはこの共時性を上手に説明してくれます。「朝まだ明けやらぬうちに、牛乳配達がくる、小鳥がさえずり始める、そして朝刊の配達がある。この順序が確立しているとき、われわれは、小鳥がさえずっているから、もう牛乳が配達されているだろう、とか、小鳥がさえずっているから、もうすぐ朝刊が配られるだろう、などという。しかし、これらの事象の間に因果関係は存在していない。これらの事象の背景にある、人間生活にとっての朝、明け方、というものによって、これらは布置されているのである。われわれは朝というものを見ることも、手に触れることもできない。しかし、それは明らかに事象にあるまとまりを与え、それは意味をもっている」と。

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