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4月18日(月) [矛盾について(その259)]

 まず「こちらから」と「向こうから」の対比です。
 「つくるつながり」は「こちらから」つくらなければ存在することはありません。どこかに「つながり」があるとしても、自分からその「つながり」に入らなければ、それはつながっていることにはなりません。そして「つながり」に入るということは「つながり」をつくることです。しかし、一旦「つながり」をつくってしまえば、もう「こちらから」何もすることがないじゃないかと思われるかもしれません。でも「つながり」はそれを守る努力を怠ると間違いなく崩れます。「つながり」はつくり続けなければいけないのです。
 欧米の夫婦は「愛しているよ」と日々ことばに出して「つながり」を確認しているが、日本の夫婦はそんなことをしなくても絆は保たれている、とよく言われます。確かにぼくらは気恥ずかしくて「愛している」などと言いませんが、それは絆を保つための作法(文化)の違いにすぎず、いずれにしても絆はそれを保つ努力をしないではすぐ断たれてしまいます。「つくるつながり」は「つくり続けるつながり」です。
 一方「感じるつながり」は「向こうから」やってきます。こちらとつながることに何かメリットがあるから、向こうからつながりをつくろうと人々が押し寄せるという意味ではありません。宝くじに大当たりしたりでもしますと、これまで疎遠にしていた人たちが急に友達づきあいを求めてやってくるそうです。金持ちになるのも考えものですが、まあしかしどれほど「つながり」を求められても、「つながり」をつくるかつくらないかはこちらが決めることです。いやならはっきり断ればいい。
 「感じるつながり」が「向こうから」というのはそういうことではありません。あるときふと「つながり」の中にあると感じるのです。いやもおうもありません。見ず知らずの方から突然「おはようございます」と挨拶され、こころが急に温かくなる。そしてそのとき、名前も存じ上げないその方と自分との「つながり」を感じてしまうのです。「感じてしまう」というところに、その「つながり」は「こちらから」ではなく「向こうから」であることがはっきり現われています。

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