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5月18日(水) [矛盾について(その288)]

 引きこもりは「あってはならないこと」で、速やかにその状態から抜け出さなければならない、という眼差しが世の中にあふれています。
 この眼差しは、人間というものは一定の年齢になれば社会に出て、いろいろな人たちと一緒に活動をしなければならないという常識から生まれてきます。人間は社会の中で活動するのが当たり前ですから、それをしないで自室に引きこもるなんてことは一刻も早く解消しなければならないとなります。芹沢説はその否定的な眼差しを解体しようとしているのです。
 社会的な活動を「する自己」が溌剌としていられるのは、「ある自己」が安定しているからであって、それが傷つけば、何をおいてもまず「ある自己」を修復しなければならず、そのために一旦社会から撤退することも必要なことだというのが芹沢氏の主張です。引きこもりは「ある自己」の修復、癒しという積極的な意味をもっているのだと。
 ただ、「ある自己」が傷ついたのは、あるところ(今の会社)においてであって、そこでの居場所がなくなったのですから、それ以外のところ(別の会社)に新たな居場所を求めることによって「ある自己」の修復を図ることができるのではないかという疑念が出るのは昨日言った通りです。どうして社会そのものから撤退しなければならないのか、しかも家族関係からも撤退してひとり自室に引きこもらなければならないのかと。
 学校でいじめにあい不登校になった生徒も、転校することによってまた元気な姿を取り戻すことがあります。同様に新天地に移ることによって、新規蒔き直しを図ることもできるのではないでしょうか。

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