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5月29日(日) [矛盾について(その299)]

 芹沢氏が独自の「存在論的ひきこもり」論を展開するのは、世間に根を張っている「引きこもりはあってはならない」という意識を変えなくてはならないということからです。人間は社会の中で活動するのが当たり前であって、ひとり部屋に閉じこもるなんてとんでもないという意識。
 これは健全な常識とも言えますが、ただこの眼差しで引きこもりを見ますと、一刻も早く部屋から引っ張り出さなければとなります。これを芹沢氏は「引きこもり」に対して「引きだし」と呼びますが、支援という名で強引な「引きだし」が行なわれていることに強い危機感を持っているのです。
 そこで芹沢氏は、引きこもりという現象は、「する自己」が機能不全を起こすより前に「ある自己」が深く傷ついているのだという観点を打ち出します。「する自己」が機能不全になるのは「ある自己」が不安定になっているからであり、したがって「ある自己」の傷を癒すために引きこもるのは大事なプロセスなのだと。
 では引きこもりに対して、どのような支援のあり方を取らなければならないのか、これが実践的には急を要する課題となります。とりわけ引きこもりの青年を抱える家族にとっては、「じゃあ、どうすればいいのか」という問いが真っ先に浮かぶでしょう。どのような支援をするべきかに答えるためには、傷ついた「ある自己」はどのように癒えるのかを考えなければなりません。

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