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6月2日(木) [矛盾について(その303)]

 「じっと傍にいる」の「いる」は結局のところ「する」ことです。この辺りに芹沢氏とぼくの相違点が現われてきます。
 芹沢氏によれば、「ある自己」が傷つくというのは、自己に不可欠の「一緒のだれか」が突然いなくなるということですから、この痛手から立ち直るには、崩れてしまった他者への信頼を再建しなければならないはずですが、彼は「一緒のだれか」がいなくなった以上、自分で自分を受けとめるしかないと論じます。そしてそこから、周りのものにできるのは、本人があるがままの自分を受けとめるのを傍でじっと見守ることしかないと論を展開していくのです。
 このような流れになるのは「善意の第三者」に対する根深い疑いからでしょう。支援という名で、本人の意向を無視して無理やり社会に引き出そうとする世間の力への疑念。何度も言いますように、それには強い共感を覚えるのですが、ただぼくとしますと、傍でじっと見守るのも、本人のために「する」ことのひとつだと言いたいのです。
 実は、芹沢氏も問わず語りにそう言っています、「いること、居続けることのもたらす信頼性」というように。彼の立場からしますと、他者への信頼が崩れてしまったことが問題の根源ですから、本人が他者への信頼を回復するしか解決の道はなく、傍にいること、居続けることも本人が他者への信頼を回復するための手立て以外の何ものでもありません。つまり「いる」ことも、本人のために「する」ことなのです。

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