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6月5日(日) [矛盾について(その306)]

 ある人の「あなた」になれるということは、その人を救えるということに他なりません。「あなた」は「そのまま生きていていい」というメッセージを届けてくれるのですから、つまりは救いを与えてくれる人です。その「あなた」になれるということは、その人の救い手になれるということです。
 ある宗教がまやかしかどうかは、その宗教の指導者(坊さんでも牧師さんでも神主さんでも)が「わたしがあなたを救って差し上げましょう」というスタンスをとっているかどうかで見分けられます。そんな姿勢が少しでも見えれば、すぐさまその場から立ち去るべきです。
 誰も「あなた」になることはできませんが、しかし「あなた」はいつでもどこでもいることは前に言った通りです。気がついたらすぐ隣に「あなた」がいるのです。でも気がつきませんと、どこにも「あなた」はいない。さて問題は「あなた」がいることに気づいていない人に何をしてあげられるかです。
 気づきさえすれば傷から立ち直ることができるのに、気づいていないばかりに空しくもがいている。「どうして気づかないんだ」と言ったとしても意味がありません。気づいていないということ自体を意識していないのですから。気づいていないことは、気づいて始めて「どうしてこれまで気づかなかったのか」と意識するのです。
 では何もできないのでしょうか。大津波のあと、「あの人が死んで、わたしが生き残ってしまった」と苦しんでいる人に、何もして差し上げられないのでしょうか。


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