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6月6日(月) [矛盾について(その307)]

 大津波に「生き残ってしまった」と悲痛な声を上げている人に何もして差し上げることができないのでしょうか。
 何もできないとも言えますし、できることはいくらでもあると言うこともできます。本人が「あなた」に気づいていないとすれば、これについては何もできません。「あなた」となってあげることができないことはもちろんのこと、「あなた」に気づくよう働きかけることもできません。できるのはただひとつ「待つ」ことだけです。本人が「あなた」に気づくのを待つ、これしかありません。
 でも同時にできることはあります。それがこれまで述べてきました「傍に寄り添う」ことです。全く地味なことで、しかもほんとうに根気のいることです。心理的な軋轢を生むこともしばしばです。でもじっと傍に居つづける。
 しかし、そんなことができるのも、いつかきっと「あなた」に気づくに違いないと思えるからです。それがなかったら「傍に寄り添う」ことに耐えられず、いい加減なところで放り出すかもしれません。でも、そのうち「あなた」に気づいてくれるに違いありません。なぜなら「あなた」はすぐ傍にいるのですから。そして気づいてくれさえすれば、もう大丈夫です、自分で傷を癒して元気よく社会に復帰していくことでしょう。
 「あなた」はいつでもどこでもいるということ、これを宗教のことばに翻訳しますと、どんな深手を負っていても、そのままでもうすでに救われているということに他なりません。「傍に寄り添う」ことで救われるのではありません、もうとっくの昔から救われているのです。ただそれに気づくだけでいい。


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