SSブログ
矛盾について(その308) ブログトップ

6月7日(火) [矛盾について(その308)]

 これまで「引きこもり」という現象をどう捉えるべきか、そしてそれに対する支援はどうあるべきかについて、芹沢俊介氏の『「存在論的引きこもり」論』との微妙な違いを考えてきました。
 結論的なことをひとことで言いますと、「する」ことの幸せは与えることができても、「いる」ことの幸せばかりはこちらから与えることができず、向こうから(「あなた」から)与えられるだけだということでした。
 この「向こうから与えられる」ということについて改めて考えておきたいと思います。「マタイ伝」第7章に「求めよ、さらば与えられん」という有名なことばがありますが、これは「向こうから与えられる」ことを言っているのでしょうか。
 J.デリダの「贈与論」を参照したいと思います。デリダの言っていることをぼくの理解している範囲で手短に要約しますと、贈与というものは、それが贈与であると意識されたら、もはや贈与ではなく、交換になるということです。
 どういうことかと言いますと、贈与する側が「これは贈与だ」と意識しますと、そのとき必ず何らかのお返しを期待しています。ものの形で返されなくても、状況に応じて何らかの形をとったお返しがあるはずだと思っています。
 今度は贈与される側が「これは贈与だ」と意識しますと、その瞬間に負い目を感じることになります。これは贈与する側の期待の裏返しで、何かお返しをしなければと思ってしまうのです。
かくして贈与は、それが贈与だと意識された途端に交換に変わるのです。

矛盾について(その308) ブログトップ