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6月8日(水) [矛盾について(その309)]

 贈与は贈与だと意識された瞬間に交換となるということでした。
 インドでの体験を思い出します。哲学者のような風貌の乞食氏にいくばくかのお金を差し上げましたら、その乞食氏は感謝のそぶりなど全く見せず、お金を受け取るやフンといった顔つきでその場から立ち去っていきました。彼としますと、ぼくに喜捨という徳を積むチャンスを与えてあげたのですから、感謝されこそすれ、お礼を言わなければならない義理などこれっぽっちもないのでしょう。ぼくは彼にお金を与え、彼はぼくに喜捨の機会を与えたのですから、単なるギブアンドテイクです。
 このように見てきますと、純粋な贈与はありえず、ただ交換があるのみなのでしょうか。贈与と見えるものは、その実すべて交換であると。
 前に話題にしました匿名の贈与(タイガーマスク現象)とは、相手に負い目を感じさせずに贈り物をしようとすることです。贈る側はお返しを期待せず、贈られる側も負い目を感じないとしますと、これは交換ではない贈与、純粋な贈与であるように思えます。なるほど匿名にしますと、お返しをしようにもするすべがありませんから、普通の贈与ではありません。しかし、匿名とはただ贈与するのが誰であるかが分からないだけで、特定の誰かが贈与することに変わりありません。ですから贈与された方は、誰かは分からない特定の人物に対して負い目を感じ、何らかの形でお返しをしなければと思うのではないでしょうか。
 贈与は、それが贈与だと意識された途端に交換であることが暴露されます。これは「与える」ことは相互的だということを意味します。ぼくが誰かにあるものを「与える」と、必ず何かが「与えられる」ということ。ただ一方的に「与える」だけ、ということはありえないということです。


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