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6月18日(土) [矛盾について(その319)]

 「そのまま生きていいていいのか」という問いは一見答えを求めているような顔つきをしていますが、その実YESあるいはNOと答えることを求めているのではありません。「そのまま生きていていいわけないだろ」と言っているのです。もっと言えば「まさかそのまま生きていていいと思っているのではないだろうね」と迫っているのです。ぼくらはこの問いの前に吊るされ、呻くように「このまま生きていていいわけがない」と言わざるをえません。
 唐突な印象を与えるだろうと思いますが、ここで善導という中国は唐の時代のお坊さんのことばを参照したいと思います。彼は法然や親鸞に決定的な影響を与えた人ですが、『観無量寿経』に注釈を施し、そこに出てくる「深心」ということばをこう解説してくれます。「深心というのは、深く信じる心のことです。それには二つの相があります。一つは、自分は現に罪深く迷える凡夫で、はるかなる過去よりずっと苦海に沈んで生死を繰り返し、そこから離れることなど思いもよらない身であると深く信じることです。二つには、阿弥陀仏の四十八願はこのような哀れな凡夫を疑いなく確実に摂め取ってくださるためのものですから、その願の力によって間違いなく往生することができると深く信じることです」。
 後世これを「二種深信」と呼ぶようになり、前者は「機の深信」、後者は「法の深信」と言います(機とは器のことで、阿弥陀仏の願いを受け取るわれら自身のことです。法とは阿弥陀仏の願いを指します)。浄土思想特有の用語が使われていますので戸惑いますが、どうしてこんな古いことばを持ち出したかと言いますと、ここで「機の深信」と呼ばれているものこそ、先の「このまま生きていていいわけがない」という呻きだからです。

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