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矛盾について(その336) ブログトップ

7月5日(火) [矛盾について(その336)]

 教え(よきひとのおほせ)を広めることはできても、それを「わがはからひ(自分の力)」で信じさせることはできない、それは「ひとへに弥陀の御もよほし」による。
 この微妙さは、「信じる」を「感じる」に置き換えることで、はっきりするのではないでしょうか。「よきひとのおほせ」は頭で知ることではありません、こころで感じることです。としますと、それを目の前に差し出すことはできても、当人が感じるか感じないかは何ともなりません。 馬を水場まで連れてくることはできても、水を無理やり飲ませることはできません。同じように、人を「よきひとのおほせ」まで連れてくることはできても、それを感じさせる(信じさせる)ことはできません。
 親鸞が関東の弟子に宛てた手紙を読みますと、当時専修念仏に対して厳しい迫害があったことが分かります。そもそも親鸞自身、師法然とともに弾圧されて流罪になったのですが、その動きはその後も変わらず、この教えを広めようとすると中央・地方の権力者たちからさまざまに妨害されたのです。
 で、関東の弟子たちは親鸞に「どうしたらいいでしょう」と問い合わせてくるのですが、親鸞の答えはいともあっさりしたものでした、「その地を去りなさい」と。何だか拍子抜けするような感じですが、人々が「よきひとのおほせ」を信じるか信じないかは「わがはからひ」によるのではないのですから、これこそ筋が通っていると言えます。その地では教えが広まる機縁が熟していないのですから、そこを去り、他の地で縁を結べばいいのです。

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