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7月20日(水) [矛盾について(その351)]

 信仰上の争いを避けるためには「信じる」ことの原点に立ち返ることが必要です。「たまはりたる信心」です。「あひがたくしていまあふことをえたり。ききがたくしてすでにきくことをえたり」という原点です。周りの人が信じるようになるのも「たまはりたる信心」で、自分の力によって広めたわけではありません。ここに立脚すれば争いになることはありません。
 しかし、自分は争おうとは思っていなくても、他の信仰を持つ人が喧嘩を吹っかけてきたらどうか。「売られた喧嘩は買わなければならない」のでしょうか。いえ、けっして買うべきではありません。唯円が言っていましたように、われらにはこれしかありませんから、どうぞ妨げられませんようにと、相手を憎む気持ちがなければ、相手も暖簾に腕押しでしょう。
 それでもなお迫害が及んだ場合はどうか。親鸞の時代なら「その地を去る」しかないでしょう。でも今日では「法に訴える」という道が残っています。憲法に保障されている権利に訴えて、相手と争うのです。ただ、ここで争うのは信仰の権利であって、信仰そのものではないことを改めて確認しなければなりません。信仰そのものを争うことはできないのです。
 争点は、こちらはただ喜びを周りにも広げたいと思っているだけなのに、相手はそれを無理やり妨げようとしているという点にあります。無理やりかどうかのポイントになるのはまたもや「たまはりたる信心」です。ある人が何かを信じるのは、その人の力によるのではなく、たまたま「あひがたくしていまあふことをえた」ということ、これです。これをわきまえていれば、無理やり広げようとすることはありませんし、無理やり妨げようとすることもありません。

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