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矛盾について(その358) ブログトップ

7月27日(水) [矛盾について(その358)]

 「そのまま生きていていい」ということばは自分の力で調達することができません。そして、自分で調達できないものをひとさまに差し上げることができる道理はありません。試しに「このまま生きていていいのか」の棘に苦しむ方に「そのまま生きていていいですよ」と言ってみたらどうでしょう。あるいは「なぜあの人が死んで、私が生き残ったのか」と頭を抱え込んでいる人に、「あの人が亡くなったのは悲しいが、あなたが生き残ったのはよかったではないですか」と言ってみたらどうでしょう。その人の苦しみをほんの少しでも軽くすることができるでしょうか。「自分が生き残ってしまった」ことの悲しみがそれで癒されるでしょうか。
 親鸞が、ひとを「あはれみ、かなしみ、はぐく」もうとしても「おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし」と言うのは、そのことではないでしょうか。
 「であること」については、それぞれの力に応じて、ひとを「あはれみ、かなしみ、はぐくむ」ことができるでしょうが、「があること」については如何ともできません。そして「があること」の喜びが「であること」の喜びのベースです。どんなに着心地のいい着物も、どんなに居心地のいい住居も、どんなに美味しい食べ物も、「があること」の喜びが欠けているところでは、それらがもたらしてくれる喜びが台無しになります。こんなふうに、一番肝心の「このまま生きていていいのか」という棘を抜いてあげることができないとしますと、「おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし」と言わなければなりません。
 ではどうすればいいのか。

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