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7月31日(日) [矛盾について(その362)]

 ここで「希望」について考えておきます。
 数年前から東京大学社会科学研究所において、「希望学」と銘打ち、政治学、経済学、社会学など社会科学の総力を挙げて「希望ということ」についての研究が行なわれています。中でも釜石をフィールドワークの舞台としているのは、奇しくも3.11の大津波により壊滅的な打撃をうけた街ということで、「復興という希望」を語るにぴったりです。釜石は度重なる津波被害にとどまらず、鉄鋼の街として第二次大戦では米軍の徹底的な艦砲射撃を受け、その都度どん底から這い上がってきたのです。
 さてここでは、もう一度V.フランクルの『夜と霧』を取り上げようと思います。この中には「希望を持ちつづける」ということ、あるいは「じっと待ちつづける」ということについての素晴らしいヒントがあります。アウシュビッツの囚人たちの間に、大した根拠もなく「今年(大戦末期の1944年のことです)のクリスマスまでには解放される」という希望が広がりました。そしてその日を待ちつづけた。しかしクリスマスが近づいてもその兆しは見えず、ついにその日がきても何の変化も起こりませんでした。その希望にすがる思いでいた多くの囚人たちは、希望が断ち切られたことで、地獄のような現実に耐える力を失くし、バタバタと病死していったそうです。
 ぼくらが生きていく上で希望がどんなに大きな力をもっているかはいまさら言うまでもありません。大地震と大津波ですべてを失い茫然自失している人が再び一歩を踏み出せるのは、どんなにささやかなことであれ、未来に希望を見いだせたからです。周りは真っ暗でも、はるか向こうに一条の光が見えれば、それに希望を託すことができます。そしてそれを頼りに、そろりそろりとでも歩み始めることができる。希望ほど大事なものはありません。

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