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8月6日(土) [矛盾について(その368)]

 ぼくらの感情や意思はすっきり割り切れるものだろうか、割り切っていいのだろうかということでした。
 ぼくの参加している読書会で広瀬隆氏の『原子炉時限爆弾』が取り上げられました。昨年出されたこの本は、地震列島の上に建設された日本の原発はいつなんどき暴走してもおかしくなく、そして一旦事故が起きれば身の毛もよだつような事態となることを予告し、そして予告どおりの事故が起こったことで一躍注目されました。注目されるだけの内容だと思いながら、しかし、この本にはかすかな違和感を覚えました。
 この違和感は何だろうと思い巡らせたのですが、それは結局この本の「割り切り方」にあるようです。
 なぜいつの間にか54基もの原子炉が海岸線に並ぶ事態になったのか。それはひとえに原子力工学の専門家たち(とりわけ東大工学部出身の技術者たち)が、原子炉製造プラント、電力会社、官僚、そして大学を舞台に原子力ムラをつくり、危険性には眼をつぶりながら原子力政策を推進してきたこと、そしてそれをチェックすべきメディアが全くその機能を果たせていないことにあると彼は言います。現にこれまでもいくつかの原発で地震により、まかり間違えば大変な事故につながるような事態が起こっているし、放射性廃棄物の処理についても大変なことになっているにもかかわらず、国民にはそうした事実が知らされずにここまできたこと、ここに問題の根源があると。
 この主張の正しさは全くその通りで、ましてや今度の福島の事故でそれが実証されたのですから、もう文句のつけようがありません。しかし…

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