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8月7日(日) [矛盾について(その369)]

 広瀬氏の主張は全く正しい。しかし、と思うのです。現に五十四基もの原子炉が存在し、全発電量の三分の一もまかなってきたという厳然たる事実はどうなるのか。そこで自分が生きてきたという現実はどうなるのか。そのことに自分は何の責任もないのでしょうか。自分を棚上げにしてはいけないと思うのです。
 ぼく自身のことを思い返してみますと、まだ若かった頃、組合の運動方針の中に原発反対という一項が入っていました。政府が原発推進路線を取り始めてそれほど経っていない頃のことで、関心を持っていろいろな本を読み、この方向は間違っていると思いました。これは止めなければならないと思いました。しかしそれは大きな声となることなく、いつの間にか、原発は市民権を得ていきました。
 いつしか、ぼくもその流れに巻き込まれ、原発に眼を向けることがなくなっていきました。その背景には、推進派の人たちが原発の問題点を矮小化し、メディアがそれをチェックできなかったということがあるでしょう。それを指摘する広瀬氏は全く正しい。しかし、原発に反対する側も、その流れを食い止めることができなかったという事実があります。結果的に、原発は容認されてきたのです。それを棚上げにしてはいけない。
 「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です」で始まる小学6年生の新聞への投書が話題になりました。その内容は「福島第一原発を造ったのは東電だけれども、そのきっかけを作ったのは日本人みんなではないか」というものです。経済発展のために大量の電気が必要になったから、しかもいつまでも化石燃料に頼っているわけにはいかないということで原発を造ってきたのだから、東電だけを責めるのは酷ではないかという論調です。
 これをそのまま認めるわけにはいきません。その限界を指摘して上げることは是非とも必要です。しかし…

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