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8月8日(月) [矛盾について(その370)]

 この少年の議論は、敗戦時の「一億総懺悔論」と同じく、原子力政策を推進してきた政府や東電あるいは科学者たちの責任をうやむやにしてしまう危険があります。この少年の問題提起が「一億総懺悔論」になってしまってはいけません。政府や東電などの責任をいささかでも軽くするものになってはいけないということです。そのことは十分に頭においた上で、しかし彼の発言は何か大事なことを訴えていると思うのです。それは、人を攻撃することは自分にも跳ね返ってくるということです。
 自分を棚上げにしてはいけないということです。
 もうだいぶ前になりますが、「割り込み」について考えたことがあります。割り込みをされると無性に腹が立つが、どうしてそんなに腹が立つか。それは、実は自分も割り込みをしたいからではないか、ということでした。自分の中にも割り込みをしたいという思いがあることに気づきますと、割り込みをする人を非難することは自分にも直に跳ね返ってきます。そうして「おまえは人間として失格だ」とすっきり攻撃することができなくなります。東電の社長に「土下座しろ」と罵声を浴びせている人がいましたが、そんなふうに割り切って相手に石をぶつけることができなくなるのです。
 誤解を与えるといけませんので、もう一度言っておきますが、福島の原発事故の原因を作ったのは東電であり、それを支えてきた政府ですから、その第一義的な責任は東電と政府にあります。悪いのは東電と政府です。でも、そう言っているぼくも無関係ではないということ、それを忘れてはいけない。消極的にではあれ、原発を認めてきた責任はぼくにもあります。一貫して原発に反対してきた人も、食い止められなかったという点において責任があります。そういう前提で、今後どうすればいいかについて議論していかなければと思うのです。


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