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8月19日(金) [矛盾について(その381)]

 大学紛争の評価はさまざまでしょうが、渦中にいた多くの学生たちのこころの中に賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」ということばが響いていたのは間違いないと思います。彼らはそのことばを文字通りに実現しようと夢想したのです。
 そこから出てきたのは「自己否定」、あるいは「大学解体」でした。
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」のに、自分はどうか。いい大学に入り、いい就職口を見つけることに血道を上げているではないか。自分の幸せしか眼中にないではないか。そんな自分を否定せよ、そんな大学を解体せよ。これが彼らのあまりにもナイーブな論理でした。一方では「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」、しかし他方では自分の幸せが一番と思っている己。このねじれ(矛盾)を正すためには、そんな己を否定するしかありません。
 このねじれには不思議なところがあります。必死になって自分の幸せを追い求めているのですから、それが真実だと思えばいいのに、これはほんとうではない、まがいものだと思う。
 これはまがいものだという思いは一体どこからやってくるのでしょう。同じことですが、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というメッセージはどこからやってくるのでしょう。これは賢治のことばですから、賢治の脳がその発信源でしょうか。いや、賢治もこのメッセージをどこかから受け取ったに違いありません。そしてこのメッセージと自分の幸せが一番と考える己とのねじれを生きたに違いありません。彼の作品はすべてこのねじれをテーマとしていると言ってもいい。

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