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矛盾について(その384) ブログトップ

8月22日(月) [矛盾について(その384)]

 事情で更新が遅くなりました。
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というメッセージは内から来ることはできず、外からやってくると述べました。この内と外について改めて考えておこうと思います。「内から」はよく分かります。それが欲望であれ、理性であれ、ぼくらにもともと備わっているものから来るということです。しかし「外から」がよく分からない。外とはどういうことを言っているのでしょうか。
 取りあえずはぼく以外の誰かからと考えることができます。いまの場合は宮沢賢治からということになります。賢治が書き残しておいたことばがぼくのもとに届いたのです。では賢治自身がこのメッセージの発信源かと言うと、そうではないでしょう。彼もどこかからこのメッセージを受け取ったに違いありません。賢治にとってもこのメッセージは重すぎて担えないからです。自分に担えないメッセージが自分の中から出てくることはありません。
 このように考えますと、「外から」とはわれら以外からということになります。われらとは仏教語を使わせてもらいますと凡夫のことです。ただびとです。ただびとにはこのメッセージは重すぎるのです。仏教で凡夫の反対は仏です。としますと「外から」とは仏からということになります。凡夫と仏という仏教語を今日の普通のことばに置き換えますと、さしずめ有限なるものと無限なるものでしょうか。
 としますと、このメッセージは無限なるものからやってくることになります。

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