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8月27日(土) [矛盾について(その389)]

 意見が違うとき相手に合わせることができれば、争いとは無縁に生きることができるでしょうが、そうはいかないのが人間です。
 相手に合わせるという言い回しにそれが滲み出ています。自分は違う意見だけれど、言い争いになるのが嫌だから、相手に合わせるのです。そうしますと確かに対立は見えなくなりますが、それは自分のこころの中に持ち越されただけです。こうして本音と建前が対立し、それはいずれ外に現れます。
 ですから、相手と意見が異なるときは、はっきり違うと言うべきです。お互いに自分の思いを率直に言い合える関係を作っていくことが大事で、それぞれの言い分を出し合うことが「平和のこころ」に反するわけではないでしょう。問題はお互いに自分の考えを出し合うときの気持ちのありようです。それが「ともにこれ凡夫のみ」で、ぼくときみとで意見が食い違ったが、ともに「ただのひと」で、何が正しいのかを知っているわけではない。だから双方の言い分をつき合わせてほんとうの正しさがどこにあるかを探し出そう、というように思えるかどうか。
 実際にはなかなかそう思えません。双方とも、自分は正しくて相手が間違っているに決まっているから、それを思い知らせてやろうという姿勢になります。かくしてただの意見の対立だったものがつかみ合いの喧嘩に発展することになるのです。さて、そんなときです、こちらとしては喧嘩をしようなどという気はさらさらないのに、相手が激昂して殴りかかってきたらどうするか。「やられたらやりかえせ」でしょうか、やられるままに任せるなんて法はないと。

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