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8月29日(月) [矛盾について(その391)]

 恒久の平和という願いはいつか必ずかなうと思うか、それとも、恒久の平和を願うなどというのはナンセンスなのか。
 ぼくは恒久の平和がいつか必ず来ると言うことはできません。人には他と争うこころがあるからです。アジアに平和を、と言いながら、尖閣のことになると平静ではいられませんし、中国の海軍力の増強が伝えられますと、日本もそれに対抗しなければとこころが騒ぎます。こんなふうでは、ほんの些細なきっかけで軍事衝突が起こりかねないと思わざるを得ません。
 しかしだからと言って、恒久の平和という願いがナンセンスだとは決して思いません。人には争うこころがあるのだから、恒久の平和などというかなわぬ夢は捨てて、現実的に対処していかなければならないとは思いません。恒久の平和がかなわぬ夢であるとしても、それを捨ててはならないと思います。いや、捨てようにも捨てる事はできないのです。
 かなわぬ願いであっても、願い続けざるをえないのは、どういうわけでしょう。それは、恒久の平和を切実に願っているのは紛れもなくぼくら自身ですが、その底で、それが願われていると感じるからです。ぼくらが願うのですが、同時に、願われていると感じる。だからこそ、それがかなわないとしても、願い続けざるをえないのです。裏切られても、裏切られても、なおかつ願い続けざるをえないのです。

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