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9月11日(日) [矛盾について(その404)]

 前に「ありがとう」について、こう言いました、「わたしがあなたから親切をしていただくめぐり合わせがありがたいと同時に、あなたがわたしに親切をしてくださることになっためぐり合わせもまたありがたい」と。
 めぐり合わせとは因縁ですから、お互いの因縁がありがたいということです。この因縁のありがたさについて金子氏は次のように述べています。「ありがたいということは偶然ということであります。偶然とはまれにあることで、めったにないことをいう。そうすると、なにより偶然のことは、生きていることです。死は必然なり、生は偶然なり。死ぬことだけはきまっているのであって、これはいかにおろかなわたくしでもタイコ判を押して明言できます。…いまこうしている以上にありがたいことはない。これ以上にありがたいことをたずねようといったって、あるはずはない」。
 そしてこんなふうにも言います、「人間の一生涯の旅の間には病という風景のところもあると、わたくしはときどき思います。昔のように、歩いて旅をしていくときには、その途中に病という場所もあるし、災難という場所もある。ところが、そこはいままで知らなかった人生であった。そういうことがなければ、あるいは、そういうことがあって、はじめて人間の一生涯に、人情とか義理とかいうものの境地を知ることができる。そういう意味において、病むときには病むがよろしいということもあるのだし、死ぬときには死ぬがよろしいということもあるにちがいない」と。
 「病むときには病むがよろしい、死ぬときには死ぬがよろしい」とは良寛さんのことばですが、ここに仏教の真髄があるのは間違いないでしょう。

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