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9月12日(月) [矛盾について(その405)]

 「病むときには病むがよろしい、死ぬときには死ぬがよろしい」とはすごいことばだと思います。ぼくもそんなふうに言ってみたいものだと思いながら、いざ病となるとオタオタし、ましてや死ぬ段になると見苦しい姿をさらしてしまうのではないかと惧れます。それにつけ思いだすのが『歎異抄』の親鸞のことばです。「いささか所労(病気)のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆる」と。また「なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいる」と。これらのことばを読みますと、親鸞もぼくらと同じ凡夫なのだと一段と近しく感じられるのです。改めて親鸞が好きになるのです。
 と同時に、「いまこうしていること以上にありがたいことはない、これ以上にありがたいことをたずねようといったって、あるはずはない」ことの真実性もまた胸に迫ります。このように「いまこうしていること」のありがたさを感じることができるのも、「そのまま生きていていい」の声に「遇いがたくしていま遇うことをえた」からです。この声に遇うことができませんと、「いまこうしていること」にことさら何も感じることはありませんし、「いまこうしていること」に苦しみが伴いでもしますと、「なんでこうなってしまうのか」と不満を持ちこそすれ、ありがたいと思うことはありません。としますと、この声(これを浄土の教えでは本願といいます)に遇うことほどありがたいことはないということです。
 「病むときには病むがよろしい、死ぬときには死ぬがよろしい」と思えるのも、本願に「遇いがたくしていま遇うことをえた」からです。

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