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9月13日(火) [矛盾について(その406)]

 「病むときには病むがよろしい、死ぬときには死ぬがよろしい」と思えるのは、「そのままで救われている」という声に「遇いがたくしていま遇うことをえた」からです。
 人間のさまざまな悩みを「であること」の悩みと「があること」の悩みに分けて考えてみましょう。中学の英語の時間に、be動詞には「である」という意味と「がある」の意味があることを教わりました。「ぼくは生徒である(I am a student)」と「ぼくはここにいる(Here I am)」のふたつですが、この「である」(状態)と「がある」(存在)の区別です。
 さて、病気になることや災難にあうことは「であること」の悩みで、「このまま生きていていいのか」と苦しむのは「があること」の悩みです。「があること」の悩みが「そのまま生きていていい」の声に遇うことによって解消されてはじめて、「病むときには病むがよろしい、死ぬときには死ぬがよろしい」と思うことができるのです。
 すべての「ありがとう」は、この声に遇うことの有り難さに依っているようです。自分のようなものが、あなたに親切にしていただくことになったことに有り難さを感じるのは、その底に、この声に遇うことができた有り難さがあるのではないでしょうか。このように考えてきますと、「ありがとう」といことばは、直接には親切をしてくださったあなたに向けられているには違いありませんが、実はそこを超えてこの声に遇えたことに向かっていると言えそうです。この声に「遇ひがたくしていま遇ふことをえた」ことに「ありがとう」と言っているのです。


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