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矛盾について(その407) ブログトップ

9月14日(水) [矛盾について(その407)]

 現世利益ということばはあまりいい意味では使われません。近くの山の上に大きなお寺があり、多くの人でにぎわっていますが、ごたぶんにもれず、厄除けや交通安全の祈禱で人気を博しているようです。病気になりませんよう、災難に遭いませんよう、長生きできますよう、家族みんなが幸せでありますよう、という善男善女の切実な願いをかなえてあげましょうというわけです。最近は境内から温泉が出たということで、それがまた評判になっているようですが、こうなりますともう宗教活動というよりも、営利活動と言わなければなりません。
 しかし、病気になりませんよう、長生きできますよう、といった願いをもつのはひととして当たり前のことです。他人の不幸を願うのはいけませんが、自分の幸福を願うのを否定することはできません。現世において幸せでありたいと願うのは、ほめられることではなくても、けなされることはありません。では、それが宗教と結びつくと、どこか否定的な色あいを持つのはどういうわけでしょう。幸せに二種類あることが関係してきます。「であること」の幸せと「があること」の幸せです。
 先回こう言いました、病気になること、災難にあうことは「であること」の悩みで、「このまま生きていていいのか」という苦しみは「があること」の悩みだと。それを裏返して言いますと、健康であること、災難にあわないことは「であること」の幸せで、「このまま生きていていい」と思えることは「があること」の幸せです。そして「があること」が「であること」を支えていますから、「があること」の幸せがあってはじめて「であること」の幸せ(これが現世利益です)があることになります。

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