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矛盾について(その412) ブログトップ

9月19日(月) [矛盾について(その412)]

 突然ですが「あの世」についてです。金子大栄氏は「あの世」について次のように述べています。「あの世というのは、人間の分別ではきめることができないが、それは、生の依るところ、死の帰するところとして、そういう境地がなければならないということなのです。あの世というものは、日本画の余白のようなものでしょうか。描いてあるところがこの世である。…『色即是空空即是色』というが、この『空』というのは、つまりあの世であり、『色』といってあるのはこの世です。空という場所がなければ物は成り立たない」。
 ぼくはこれまで、どうしても「あの世」ということばに引っかかりを感じ、ぼくらが言うことはいま生きている「この世」に限定されるべきで、「語りえないものについては、沈黙しなければならない」(ヴィドゲンシュタイン)と考えてきました。あるいは釈迦の「無記」(黙して語らず)の姿勢に倣わなければならないと思ってきました。しかしこの頃は、年をとって死が次第に近づいてきたからでしょうか、「あの世」ということばに対する免疫反応が弱くなってきて、「死んで、あの世にいく」とか「あの世にいる父や母」と何の抵抗もなく言えるようになりました。
 それはおそらく「人間の分別」から自由にものを言えるようになったからでしょう。分別の世界(知識の世界)ではあの世は語りえませんから、沈黙しなければなりません。でもぼくらの生きている世界は分別の世界だけではありません。分別では割り切れない世界(見る世界ではなく感じる世界)が広がっているのです。そのけじめさえしっかりしていれば、あの世のことを親しみをこめて語るのもありではないかと思うのです。

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