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矛盾について(その413) ブログトップ

9月20日(火) [矛盾について(その413)]

 金子氏はあの世のことを「思い出の世界」とも言っています。「思い出の世界をあの世という。あの世というのは思い出の世界である。死んだお父さん、死んだわが子は、すべてわれわれの思い出の世界へ移るのでしょう。そのように、いまは亡き人びとを思っているのであるけれども、自分もまた死んだら、弔う人の思い出の世界へ行くのであろう」。
 わが家には正式の仏壇はありませんが、妻が生後まもなく亡くなった子どものために真似事でもいいから拝むものがほしいということで、小さな仏壇を買ってきて、そのなかにぼくが以前彫った木のお地蔵さんを納めています。そして毎朝、お供えし、線香を上げているのです。ぼくもいつしかそれに仲間入りすることになり、それが今なお続いているということは、やはり思い出の世界に死んだ子や父母がいるということでしょう。ぼくや妻の頭の中にいるのではなく、どこかに思い出の世界というものがあって、そこにいるのです。そして自分もまたいずれその世界へ移っていくのだろうと漠然と思う。
 そうしますと、明日がいい日でありますようにと願うように、思い出の世界がよき世界でありますように願わざるをえません。今日もいろいろ辛いことが多かったが、明日はよい日となりますようにと願うのと同じように、この世を生きるのは苦しく悲しいことばかりだが、せめてのちの世はよき世界でありますようにと願う。このような感覚をこれまでは冷ややかな眼で見ていましたが、いまはどこか懐かしげに迫ってくるのです。
 やはり年老いたということでしょうか。

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