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9月30日(金) [矛盾について(その423)]

 割り切れないことを無理やり割り切るのですから、どこかすっきりしません。
 余った1つをお兄ちゃんに上げれば、弟はブーブー言うでしょうし、弟に上げると、お兄ちゃんに不満が残ります。半分に割ったら割ったで、今度はどちらが大きいかでまたいがみ合いが始まることでしょう。
 こんなふうに割り切れないことを割り切っていかなければならないのが人生であり、そこに悩みがあるのですが、その際「とにかく人生というものは、割り切れないようにできているのである」という「あきらめ」があるかどうかが肝心だと金子氏は言います。それがあるかないかで大きく違ってくると。
 どう違ってくるのでしょう。
 すっきり割り切れないなんておかしい、割り切る正しい方法を知らないだけだと思っていますと、周りに非難の眼を向けることになります。余ったクッキーをお兄ちゃんに上げた場合を考えてみますと、その決定に不満をもつ弟は、すっきり割り切ってくれない親を非難し、いつまでも恨みを持ち続けるでしょう。
 でも、所詮割り切れないものだという「あきらめ」がありますと、もちろん自分の方が少ないという不満はあるでしょうが、「次はぼくの方を多くしてね」と「あきらめ」がつきます。多くもらった兄の方も、弟に「すまない」という気持ちから、「今度は弟に多く上げてね」と言うのではないでしょうか。
 では「人生というものは、割り切れないようにできているのである」という「あきらめ」はどこから生まれてくるのでしょう。

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