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10月7日(金) [矛盾について(その430)]

 未来について考えてみようと思います。
 未来を持っているのは人間だけでしょう。動物には未来という時間はない。彼らは、起きて、食って、寝るだけで、それにどんな意味があるかなどと考えることはありません。未来がないからです。
 前にも書いたような気がしますが、ときどきテレビの動物番組を観ますと、登場する動物たちはどれもこれも今日食べるものを得るのに一生懸命です。そして恋の季節がきますと、よきパートナーを得るのに必死になります。やがて子どもが生まれると、子育てに余念がありません。
 その様子を見ていてうらやましく思うことがあります。彼らは今日を必死に生きていて、明日を思い煩うことがないように思えるからです。辛い日々を送っていた頃のことを思い出します。夕暮れ時、ねぐらに帰っていく鳥の群れを見上げては、「いいなあ」とため息をついたものです。彼らは明日を思い煩うことがないからです。聖書に「空の鳥を見よ、撒かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養いたまふ」とあります。「されば何を食ひ、何を飲み、何を著んとて思ひ煩ふな」と。
 動物たちは、起きて、食って、寝るだけではありません、しばしば他の動物に食われます。己が食うということは、取りも直さず、他に食われるということでもあります。そのときも従容として運命を受け入れているように見えます。もちろん追われたら何とかして食われないよう必死に逃げるでしょう。でもそのときがきたら、もうそうなっていたかのように、穏やかな表情で死につきます。それも彼らには未来という時間がないからです。彼らには明日という日がないように、死後の時間もないのです。

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