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10月9日(日) [矛盾について(その432)]

 金子氏は「あらゆる宗教の根源は悲しみである」と言います。しかし、仏教では苦しみと言い、悲しみとはあまり言わないような気がします。生きることはすべて苦しみだとして、生・老・病・死の四苦、それに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えて八苦を上げます。
 その中で、例えば病は苦しむものでしょう。病苦といい、病悲とはいいません。しかし愛するものと死別するのは、苦しいことというよりは悲しいことではないでしょうか。一方、顔も見たくない憎らしいヤツに会うのは、悲しいことというよりは苦しいことです。こんなふうに比較しますと、苦しみと悲しみとはやはり違います。
 微妙な違いですが、苦しみはどちらかと言えば身体に関係しており、それに対して悲しみは心に関係していると言えそうです。ですから苦しみはある程度取り除くことができますが、悲しみを取り除くのは容易ではありません。病気で苦しんでいる人は医者を頼りにすることができますが、わが子を亡くして悲しんでいる人には慰めのことばもありません。
 ところで動物には悲しみがあるでしょうか。彼らにも苦しみはあるに違いありません。まな板に載せられた活魚は苦しさにバタバタと暴れます。ライオンに咽喉を噛み付かれた鹿は苦悶の表情を見せます。しかし彼らに悲しみはあるか。前に、追われた鹿は必死に逃げるだろうが、そのときがきたら、もうそうなっていたかのように従容と死を受け入れると述べました。それは彼らには未来という時間がないからだと。
 どうやら悲しみは未来という時間に関係した感情のようです。

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