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10月23日(日) [矛盾について(その446)]

 「一人でももらしたら親鸞をもらすことになる」、「人をはねのけることは自分をはねのけることになる」とは一体どういうことか。
 ここで頭に思い浮かぶのが親鸞の「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」ということばです。どうして「人をはねのけることは自分をはねのけることになる」のかと言いますと、その人と血のつながりがあるかないかにかかわらず、「みなもて世々生々の父母兄弟」だからです。 
 「みなもて世々生々の父母兄弟」だからこそ、「わたくしだけ助かってもはじまらぬ」のです。「すべての人が救われる道でなければ、自分も救われないのです」。このように考えますと、「一人ももらさない」ということと「親鸞一人がため」ということは同じだということがよく理解できます。
 さてしかし、これで話が終ったわけではありません。「人をはねのけることは自分をはねのけることになる」にもかかわらず、ぼくらは平気で人をはねのけているからです。人をはねのけることで、自分が助かろうとしているのです。
 また椅子取りゲームが頭に浮かびます。誰かをはねのけなければ、自分の席を確保できないという現実。「人をはねのけることは自分をはねのけることになる」なんていうのは、ただの理想にすぎないよ、という声がどこかから聞こえてきます。そんな甘っちょろい考えでは、厳しい世の中を渡っていけないよと。

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