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矛盾について(その448) ブログトップ

10月25日(火) [矛盾について(その448)]

 身体障害児の世話を献身的にしている方のことを紹介しながら、このような人こそ信仰を持っているものの手本だと思うのですがという問いかけに対して、金子氏はこう答えられました、「その方のやっていることは、われわれがとうていまねの出来ない神の心に近い仕事です。しかし、人はみなそれをやらねばならぬということはでてこないのではないですか。その人を称賛し、心から敬服することはやらねばならないですが。人はそれぞれ分限の生活を重んじなけれならんと思うのです。百姓には百姓の、商人には商人の道がある。それを本当に誠実にやることが、さっきの不幸な子供の世話をする人と同じ価値をもつことになるのです。自分の生活をまじめにやりぬくことが、そのような人に感謝をする道であると思うのです」と。
 「分限」という封建社会を思わせることばには少し戸惑いを覚えますが、人にはそれぞれにやらなければならないことがあり、それを精一杯することが大事だということには深く頷かせるものがあります。例えば、3.11の大震災・大津波に苦しんでいる人たちを助けようと献身的に働いているボランティアの姿を見ていまして、肩身が狭くなることがあります、自分は何もしてないなあと。そんなとき、無理をして現地に駆けつけるより、自分のやらなければならない普段の生活を誠実にこなしていくことに意味があるのだと言われますとホッとします。
 しかし、その一方で、人それぞれにやらねばならないことがあると言うことが、本当にしなければならないことから逃げる口実になっているのではないかという疑いもあります。

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