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矛盾について(その449) ブログトップ

10月26日(水) [矛盾について(その449)]

 「これがぼくのやらねばならないことだ」と言うことが、本当にやらねばならないことから逃げる口実になってはいないか。
 でも、逃げ口上であるかどうかを一番よく知っているのは本人です。逃げ口上を言うとき、「あっ、また逃げ口上を言ってるな」と感じているはずです。そう感じながら、でも一生懸命言い訳をする、「いまこれをしなくちゃならないから」と。
 聖書の「善きサマリア人」の話をもう一度取り上げてみましょう。追いはぎに半殺しの目にあわされた哀れな旅人に出会った祭司は、道の向こう側を通り過ぎ、また同じようにそこを通りかかったレビ人も同じように見て見ぬ振りをして通り過ぎた。しかし一人のサマリア人はできる限りの介抱をしてやり、宿屋の主人にお金を渡して元気になるまで休ませてやってくれるように頼んだ。さてこの三人の中で旅人の隣り人となったのは誰か、というイエスの問いでした。
 この話の焦点は言うまでもなく善きサマリア人にありますが、ここでは祭司とレビ人のことを考えてみたい。
 彼らは道の向こう側を通り過ぎたとありますが、ということは、彼らはこころに疚しさを覚えたということでしょう。でなければ避けるように、あるいは見ないようにすることはありません、堂々と道の真ん中を通り過ぎればいい。彼らは一瞬「助けてあげなくちゃ」と思ったに違いありません。でも、そうしなかった。そのとき彼らはこころの中でつぶやいたことでしょう、「ここでグズグズしているわけにはいかない」、「厄介なことに巻き込まれるのはかなわない」などと。でも、そうつぶやきながら、「これは助けてあげない口実に過ぎないな」と感じているはずです。

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