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10月29日(土) [矛盾について(その452)]

 光と闇、どう考えればいいのでしょう。
 闇の世界に光が差し込んで全体が明るく照らし出されるようになったからといって、これまでの世界が忽然と消え、新しい世界が生まれたわけではありません。夜が明け、朝になっても、世界そのものに何の変化もないのと同じです。むしろ、これまでは暗闇に閉ざされて何も見えなかったのが、光が差し込むことではっきり見えるようになるのです。
 確かに、これまでは「このまま生きていていいのか」という闇に閉ざされていたのが、光とともに「そのまま生きていていい」というメッセージがもたらされることで、こころの闇が晴れたのですが、同時に、これまではよく見えなかったこころの闇が白日の下にさらされることになります。
ここには微妙な問題があります。一方ではこころの闇が晴れるのに、他方ではこころの闇が白日の下にさらされる。
 前に検討したことですが、いま一度確認しておかなければならないのは、闇の中に閉ざされてきた人は、それが闇であることが分からないということです。光が差し込んではじめて、いままで闇の中にいたのだと分かるのです。としますと、こころの闇が晴れるというのは、どういうことでしょう。
 こころの闇とは煩悩のことです、欲をおこし腹をたてることです。でも、ただそれだけでしたら、それはまだ煩悩とは言えません。欲をおこし腹をたてながら、それを煩い悩むとき、煩悩として立ちあらわれてくるのです。「なんでオレは人より多くと貪るのか」と思い、「なんでオレはこんなことで腹を立てるのか」と思うとき、それがこころの闇と感じられるのです。

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