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11月8日(火) [矛盾について(その462)]

 しかし、本当にデクノボーになるのはそう簡単ではありません。宮沢賢治は「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」とうたいますが、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と言うのは、なかなかそうなれないということでしょう。みんなからデクノボーと呼ばれるのは耐え難いし、人からはホメラレタイと思う。この頃の政治家諸氏を見ていますと、みんなからホメラレタイの一心のように思えます。賢治にしても、ホメラレタイに違いありません。童話作家として評価してほしいという気持ちがあったはずです。
 ぼく自身、人からホメラレタイと思っています。こんなことがありました。最後に勤めた学校の創立40周年記念式典に「ご来臨の栄を賜りますよう」という案内がきまして、その出欠を知らせるはがきに肩書きを書く欄がありました。さてそこに何と書いたものか、ぼくはしばし悩みました。「なし」と書くのは、どうも格好悪い。しかし、アルバイト的にやっている講師職を持ち出すのも何となくさもしいなと思い、結局「なし」と書いて出しましたが、こんなこころの動きからも、人からホメラレタイという名利の思いが渦巻いていることを感じます。
 余談ついでにもう一言つけ加えますと、こんなふうにものごとに迷ったとき、ぼくは「後味のよさ」を考えます。ほんとうにおいしいものは、食べている最中においしいと思うのはもちろんですが、食べた後、口の中がさわやかに感じられます。この「後味のよさ」が食べものの真価を決めるのではないでしょうか。同様に、何かをするとき、した後でさわやかな後味が残るようにしたいものだと思うのです。実際には、「あんなことをしなきゃよかった」と臍を噛むことが多いのですが。
 デクノボーになるのは大変なことです。

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