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矛盾について(その464) ブログトップ

11月10日(木) [矛盾について(その464)]

 「心の持ち方次第というのは卑怯だ」という言い方には、実際には不幸な状況にあるのに、それに目を塞いで、無理やり幸福と思い込もうとしている、というニュアンスがあります。マルクスの「宗教はアヘンだ」は有名です。宗教というものは不幸な現実から目をそむけさせ、偽りの幸福感を与える点でアヘンと同じ効用があるという意味ですが、これも若者が宗教は逃避だと言うのと同じ趣旨でしょう。さてしかし、アヘンによって現実を忘れられるように、宗教によって現実から逃避できるものでしょうか。
 会社をリストラされても、難病におかされても、それでも幸福だと思えるのが宗教の力だとしますと、それは確かにアヘンの力によく似ています。でも何かが違う。アヘンの場合は、無理やり作られた偽りの幸福感だが、宗教は正真正銘の幸福感だ、などと言っても、水掛け論に終るだけです。大事なことは、現実に対する向き合い方です。不幸な現実から目をそむけているか、それとも、どんな現実であれ、それにしっかり向き合っているかという違いです。これはこころの内面ではありませんから、誰の目にもはっきり映ります。
 宗教の場合は(宗教もいろいろですから、ほんものの宗教と言わなければならないでしょうが)、会社をリストラされたこと、難病におかされたことから目をそむけることはありません。厳しい現実としっかり向き合い、「それでもいい」と思うのです。「それでもいい」は「どうでもいい」と似ていますが、ここにも決定的な違いがあります。「それでもいい」は、いま出来る最善の行動をとらせる力となるのです。どんなに現実が絶望的な状況でも、諦めることなく、未来に希望をつながせる力となるのです。

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