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矛盾について(その469) ブログトップ

11月15日(火) [矛盾について(その469)]

 金子氏は自分から進んで教えようという気持ちはないと言います。しかし同時に「問われたら必ず何か答える。なんとなればその問いというものは自分の問いなのであります。そして聞かれるということは、自分の内にもそういう問いがあるのだから、その問いを聞く人と一緒になって答えを見いだしていかなければいけないということだと思います」とも言われます。ここには大事な指摘があるような気がします。
 もう少し金子氏に語ってもらいましょう。「人のもっている問題を解き得ないようなことで、自分に信があるということはいえない。そう思うのであります。だから、問う人がある限りは自分の信が完成しないのだということすらも言っていいんだと思います」。人のもっている問題は自分の問題でもある、だからその問題を解くことができないうちは、自分の信は完成しない―ズシリと重いことばです。
 学生時代、家庭教師をして生活費の足しにしていましたが、その頃のことを思い出しました。こちらの説明をちっとも理解してくれない生徒に「何で分からんのか」と怒鳴り散らしていた自分が恥ずかしくなります。生徒が分からないのは、こちらの説明の仕方に問題があるのです。もっとはっきり言えば、生徒にとってはまともな説明になっていないのです。生徒がその前で立ち止まってしまった問題は、間違いなくぼく自身の中にもあるのに、それを自分ですっきりと解決していないのです。自分の中ですっきりしていないことを何度言っても、相手がすっきり分かるはずがありません。

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