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11月16日(水) [矛盾について(その470)]

 妻との口げんかのことも頭に浮かびます。ぼくが「それはこういうことだよ」と言っているのに、妻が「そうかしら」と異議を唱えますと、それだけで無性に腹が立つことがあります。こちらとしては間違いがないと確信しているのに、それに真っ向から反論されるものですから「何を言うか」と向かっ腹が立つのです。そして言い合いをしているうちに、妻の言うことにも一理あるなと思う瞬間もあるのですが、もう引き返す勇気がなく、自分の主張を押し通してしまうことになります。
 自分としては確かだと思っても、それに疑問を抱く人がいる限り、それは自分自身の問題でもあって、いまだ自分の信は完成していないということ。
 例えば原発問題です。自分としては人類は核と共存できないと思う。だからなるべく速やかに原発のない社会にしなければならないと確信しているとしましょう。しかし、現にそう思わない人たちがいます。その人たちは慎重に対策を講じていけば原子力の平和利用はできるし、そうする以外に人類の未来はないと主張しているのです。そういう反論がある以上、それは自分自身の問題でもあり、これからもその問題を引き受けていかなければなりません。
 誤解のないよう、ひとこと言っておきますが、反論を自分自身の問題として引き受けるという姿勢は、自分の主張を引っ込めるということではありません。そうではなく、自分の立場は堅持したまま、しかし、それを絶対化しないということです。反対の立場がある以上、自分の立場は完成していないという姿勢を取るということです。反対の立場があるということは、自分の立場にも欠如があることだと認めることです。これはしかし、言うは易く行なうは難し、です。

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