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11月25日(金) [矛盾について(その479)]

 娘の死をどうして受容することができるのでしょう、それをどうすれば善意に受け取ることができるのでしょう。
 金子氏は、その方にこう言います、「こちら(娘を亡くした親)の気持ちをだれが慰めてくれるかというと、やはり死んだ娘さんよりほかに慰めてくれる人はいないんだと思います。そこに悲喜の交換というものがあって、この世の悲しみも、彼の世の娘の悟りの心が救ってくれる。そしてこの世の悲しみが純化していくのです」と。
 悲しみはなくなるのではなく、純化していくのだということです。悲しみに含まれていた恨みが消えて、純粋な悲しみに昇華していく。
 どうして悲しみが純化するかと言いますと、死んだ娘さんから「そんなに嘆かないで」という声が届くからではないでしょうか。「そんなに嘆かれると、わたしが困ってしまうから」という声が聞こえてハッとする。死んだ娘のことを悲しんでいるつもりでいたが、実は自分の不運を嘆いているだけではないかと。このようにして、悲しみの中に含まれている不純物―よりによって、どうしてわが娘がという恨み―に気づかされるのです。
 この気づきによって恨みがすぐなくなるわけではなくても、恨みは次第に薄らいでいき、悲しみが次第に浄化されていくのではないでしょうか。

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