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12月6日(火) [矛盾について(その490)]

 カントを引き合いに出すなどと言いますと、権威を借りて箔付けするようで気が引けますが、ぼくは基本的にカンティアンなのです。カントはこう言います、われわれがこの世界を認識するためには一定の形式が必要であり、その形式は世界に備わっているのではなく、われわれが世界にあてがうのだと。その形式に空間と時間があります。つまり世界がもともと空間的・時間的に構成されているのではなく、われわれが空間と時間の形式を世界にあてがうことで、はじめて世界は秩序だって認識されるのです。もしわれわれがこの形式をあてがわなければ、世界は混沌そのものです。
 としますと、空間・時間はわれわれが世界を「知る」ために不可欠の図式ということです。妙なる笛の音が聞こえてきたとき、これがどこからやってくるのかを「知る」ためには、三次元の空間図式を使わなければなりません。そして「そのまま生きていていいのか」という声がきこえてきたときも、それがどこからやってくるかを「知る」のであれば、同じ図式に頼らざるをえません。しかし、この声が届いたとき、ぼくらはこの声を「知る」モードにあるのではなく「感じる」モードにあるのです。この声がぼくらをキャッチするのであって、ぼくらがこの声をキャッチするのではありません。
 そのとき「どこから」という問いとは無縁のところにいます。誰かが「どこから」と尋ねたら、「より高い次元から」と答えるしかありませんが、それは、ぼくらに未知のより高い次元ということではなく、どんな次元であれ、そういう図式とは関係なく、という意味に他なりません。

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