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12月11日(日) [矛盾について(その495)]

 「信楽開発の時刻の極促」によって世界が一変するわけではありません。煩悩はそっくりそのまま残っています。でもそれが浄められる。浄土とはそういう働きのことだと金子氏は言います。浄土があると言われますと、どこにあるのかとなりますが、そうではなく、この娑婆世界を浄める働きをするものがあり、それを浄土というのだと。つまらぬことで腹を立てながら、「また腹を立ててしまってあいすみません」とこころの中で頭を下げる。この「あいすみません」が煩悩を浄めてくれるのです。そして浄められるという事実は浄土があることの何よりの証拠です。
 そして、この「あいすみません」が思いがけなく利他の働きをすることがあります。
 この間、読書会で佐野洋子の『シズコさん』が取り上げられました。佐野洋子と言えば『100万回生きたねこ』をはじめとする絵本作家として有名ですが、『シズコさん』は彼女と母親シズコとの間の何とも熾烈な葛藤を赤裸々に描いた作品です。物書きというのは、多かれ少なかれ露出狂のところがありますが、それにしてもこの本の中身はあまりにきつい。4歳のとき、つなごうとした手を振り払われたことからはじまり、痴呆が始まった母を老人ホームに捨てる(と作者は自虐的に述べます)まで、その身体を「さわることができない」関係を書き綴っていきます。どうしてここまで書かなければいけないのかと読んでいる方が苦しくなってきます。
 しかし最後のところで、彼女がどうしてこれを書かねばならなかったのかの答えが与えられます。

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