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12月19日(月) [矛盾について(その503)]

 「あした」という場所から「きょう」を見る。
 悲しみは「あした」を思い煩うことから生まれると言いました。また喜びも「あした」を夢見ることから生まれると。悲しいのも喜ばしいのも「きょう」ですが、どちらも「あした」から「きょう」を見るからです。「あした」という視座がなければ悲しみも喜びもありません。動物たちにも苦しみや楽しみはあるでしょう。でも彼らには「あした」という視座がありませんから、悲しみも喜びもないのです。「きょう」の苦しみが「あした」も続くと思うとき、悲しみが生まれます。そして、「きょう」の楽しみが「あした」も続くと思うとき、喜びが生まれるのです。
 「この世」と「あの世」も同じでしょう。
 「きょう」が終わって「あした」があるのではないように、「この世」が終わって「あの世」があるのではありません。「きょう」が終わると「次のきょう」がありますが、「この世」が終わるとどうなるのか。こればかりは分かりません。釈迦がこの問いに答えなかった(無記といいます)のはよく知られていますが、「この世」に続いて「あの世」があるのではないことは確かです。「あの世」は「この世」を「そこにおいて見る場所」としてすでにあるのですから。「この世」の苦しみが「あの世」も続くと思うとき、悲しみが生まれます。「この世」の楽しみが「あの世」も続くと思うとき、喜びが生まれます。前者を地獄と言い、後者を極楽と言います。

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