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矛盾について(その507) ブログトップ

12月23日(金) [矛盾について(その507)]

 ここに「仏の願い」の出番があります。「いっさいのあらそいをこえ、いっさいの差別をこえて一つの世界にあらしめたい」との願いは仏の願いなのです。
 しかし仏の願いなどと言われてもわけが分からないと言われることでしょう。そこでこう言いましょう。ぼくらが争いのない世界を願うのではなく、それはぼくらに願われているのです。ぼくらが願いの声を上げるのではなく、願いの声がどこかから聞こえるのです、「いっさいのあらそいをこえ、いっさいの差別をこえて一つの世界にあらしめたい」と。その声が聞こえるから、日々争いあいながら、日々差別しあいながら、にもかかわらず争いのない世界、差別のない世界を願い続けるのです。
 そんな声、どこから聞こえるのかと問われたら…、もう答えようがありません。聞こえない人は何ともなりません。聴力検査を受けるとき、ヘッドホンからかすかな音が聞こえてきて、「聞こえた」とボタンを押します。そんなとき、「わたしには一向に聞こえません」と言う人がいれば、音は届いているはずですが、残念ながらあなたには聞こえないのですね、と答えるしかありません。
 親鸞は信じるとは聞こえることだと言います。「いっさいのあらそいをこえ、いっさいの差別をこえて一つの世界にあらしめたい」との声が聞こえることが、本願を信じることに他なりません。

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