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12月25日(日) [矛盾について(509)]

 「あの世」を思うからこそ、「この世」を「なぜ生きる」と問うのです。それは「あした」を思うからこそ、「きょう」を生きる意味を問うというのと同じことです。
 さて、この問いについて金子氏は次のように述べています。「『人生の意味』は、と問う人がある。いかにも答えることができない難問のようである。けれどもすでに意味というのだから、味わってみなければわからないものであろう。人生とは味わうべきものであって、その他のものではない」と。意〈味〉というからには、味わうものだとの指摘はおもしろい。「人生とは味わうべきものであって、その他のものではない」とありますが、その他のものとは、「知る」ことを指しているに違いありません。「人生とは何か」、「人生の意味は何か」を外から知ろうとするのはお門違いだということです。
 食い物は食ってみなければ分かりません。先日「イヌイットになった日本人」のドキュメントが放送され、おもしろく観させてもらいました。その中で、仕留めたセイウチ(だったか)をその場で解体し、その皮を切り取って実に美味しそうに食べていましたが、セイウチの皮がどんなに美味しいのかはテレビを観ていても分かりません。食べて自分の舌で味わってはじめて分かるのです。同じように、人生がどんなものかも、小説や映画をどれほど観賞しても分かるものではありません、自分の身で味わってはじめて分かるのです。  
 では、どう分かるのか。

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