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矛盾について(その511) ブログトップ

12月27日(火) [矛盾について(その511)]

 有限と無限の問題はこれまでも何度か登場しました。そこで得られた要点を確認しておきますと、有限から無限への通路はないが、無限から有限への通路はあると考えざるを得ないということでした。
 ぼくらはどんなに頑張っても無限に行き着くことはできません。1に1を加え、それにさらに1を加えるという作業は、気の済むまでどこまでも続けることはできますが、どこまで行っても有限です。ところが、あるときふと無限がその姿を現すのを感じることがあるのです。こう言ってもいいでしょう、無限に会うことはできないが、思いがけず無限に遇うことはあると。
 時間と永遠についても同じようなことが言えないでしょうか。時間から永遠への通路は閉ざされているが、永遠から時間への通路はあると考えざるをえないと。ぼくらはどんなに永遠に会いたくても決して会うことはできませんが、思いもかけず永遠に遇うことはあるということです。
 ぼくらは時間の果てに永遠を探そうとしますが、あにはからんや、永遠は時間のまっただなかに突然その姿を現すのです。永遠は時間の外側にあるのではなく、時間の内側に宿っているようです。「神は細部に宿りたまう」といいます。永遠は刹那の中に光るのです。
 プラトンは「イデアの影」という言い方をしていました。美しい花は、美のイデアの影を宿しているから美しいのだと。どんなに美しい花も、いずれその美しさは色あせ、ついには枯れてしまいますが、美のイデアは永遠にあせないのだと。

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