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12月29日(木) [矛盾について(その513)]

 しかし金子氏はあるところでこう言っています、「話せばわかるというそういう心持ちを持つのが人間だと思います。話したってわからんと言ったら人間ではないのだ、こう言ってよいと思います。あいつは話してもわからん、ということをよく聞きますが、それはまあ自分で人間であることを捨てたものといっていいだろうと思います」と。
 「あいつは話してもわからん」と思うのは、そう思わせるものが「あいつ」の中にあるからに違いないですが、でも、それと似たようなものが自分の中にもあるのではないかと疑った方がいい。もし自分の中に同じようなものがないなら、近寄って話し合うこともやぶさかではないはずです。まあ、わざわざ近づいて刺激することもありませんが、相手が周りにさまざまな影響を及ぼしているとしますと、「話してもわからん」と捨て置くべきではないでしょう。それでは同じ穴の狢になります。
 しかし、どうして「話せばわかる」などと思えるのでしょう。
 それは、どんなに争っていても、いつかは分かりあえる、ひとつの世界に入ることができるという希望があるからでしょう。何だか似たような景色のところに来たことがあるなという気がします。そうです、第9条を考えていたときと同じ構図です。あのときも、恒久の平和なんて、そんな寝ぼけたことを言っていたら、知らない間に地獄に引っ張りこまれるぞと言う現実主義者たちと対話したのでした。彼らは恒久の平和なんてお題目にすぎないのだから、争いに備えて万全の対策を取っておかなければならないと主張します。そのために第9条は邪魔でしかないと。

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