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12月30日(金) [矛盾について(その514)]

 世の中に争いが絶えないのは事実です。現に重装備して「寄らば切るぞ」と身構えているもの(人でも国でも)がいます。切られちゃたまらないから、こちらも重装備して、同じように「寄らば切るぞ」と宣告する。これが眼前に繰り広げられているパワーポリティクスです。ここには計算だけがあって希望がありません。どんなに争っていても、いずれ分かりあえる日がくるという希望がないのです。と言いますと、現実主義者からすかさず反論があることでしょう、そちらには希望だけがあって、現実に対処する計算がないと。
 確かに、ただ希望だけがあって、現実が何も見えていないのでは、危ういことこの上ありません。教育困難校と呼ばれる学校に勤めていた頃のことを思い出します。ある大学の先生が新聞紙上で、茶髪を禁止するのは子どもの権利条約からしても問題があると発言したことがあります。この人は茶髪生徒たちの傍若無人な振る舞いが他の生徒たちの学校生活を脅かしている現実をまるで知らないまま、服装・頭髪の自由という希望を語っているのです。これでは学校が遅かれ早かれ崩壊してしまいます。ですから、子どもの権利を守るという希望の上に立って、教育困難校の現実をどうすればいいのか、その具体的な方策を考えなければならないのです。
 反対に、現実に対する計算だけあって、その底に希望がないとどうなるでしょう。「あいつは話してもわからん」となり、秩序破壊分子の尻尾をつかまえて、学校なり国際社会なりから追い出すことを考えるでしょう。しかし、こちらから見れば「あいつ」が秩序破壊分子ですが、「あいつ」から見ればこちらが秩序破壊分子に他なりません。自分を追放しようと画策しているのですから。かくして争いと憎しみはますます深まっていくことになります。この悪循環から抜け出すには、やはり「話せばわかる」という希望、いつか争いのない世界がやってくるという希望を捨てることはできません。

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