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矛盾について(その519) ブログトップ

1月4日(水) [矛盾について(その519)]

 普段は隠れている悪が戦争という非日常の中で思いがけず顔を出すということ。
 誤解のないように言っておきますが、ぼくは「一億総懺悔」を言っているのではありません。すべての国民に戦争の責任があると言っているのではありません。少し前に言いましたように、歴史をつくる人たちと歴史に巻き込まれる人たちをはっきり分けなければなりません。大多数の庶民にとって、自分たちが戦争を選んだなんてとんでもない、気がついたら戦争の渦の中でもまれていたのです。ぼくが「われら一人ひとりの悪」というのは、われらの悪が戦争を生み出したのだということではなく、戦争の渦の中でわれらの内なる悪が外に現れるのであり、われらの苦悩の多くはこの自分自身の悪から来るということです。
 戦争体験者、とりわけ兵士として戦場に駆り出された人たちが間もなくいなくなってしまうということで、九十歳前後の老人たちの証言を集めた番組が作られています。ほとんどの人は「これまで戦争のことは腹の中に押し込んで、家族にも話さなかった」と言われます。思い出し、言葉にするのが辛いのです。それでもと、自分たちがしてきたことをしぼりだすように語るとき、「命令とはいえ、申し訳ないことをしたなあ」、「ひどいことをしたなあ」といったことばが漏れます。そして涙が頬を伝う。老人たちにとって、自分たちが置かれていた悲惨な状況(医薬品がない、食糧がない、援軍がこない、などなど)よりも、自分たちがせざるを得なかった悪が苦しいのです。

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