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1月8日(日) [矛盾について(その523)]

 「申し訳ないことをした」という懺悔。
 マルクスの場合、社会の悪、時代の悪は、ぼくらに災厄をもたらす根源で、それを取り除かない限り、一人ひとりの悩みの解決にはなりません。ぼくらは社会の悪、時代の悪の犠牲者なのです。この見方はそれ自体として誤っているわけではないでしょうが、しかし真理の半分に過ぎません。 ぼくらは時代の悪の犠牲者として悩んでいると同時に、自分自身の悪に悩んでいるのです。そして戦争体験者が自分のこうむった悪よりも、自分がもたらした悪に深く悩むように、自分が犠牲者であることよりも、自分の撒き散らす悪に深く傷ついているのではないでしょうか。
 ぼくらは時代の悪の犠牲者であるとしますと、何をおいてもまずその悪の正体を突き止めなければなりません。そしてその元凶を叩く。マルクスがしようとしたのはそのことでしょう。ぼくらもその衣鉢を継がなければなりません。
 でも、浄土の教えというのは、それとはまた全く別のことです。浄土の教えは、ぼくら自身の中に潜む悪の問題に関わるのですから。ぼくら自身の中にある悪の正体はもう分かっています。煩悩というヤツです。ただ正体は突き止めても、これを叩いて取り除くことはできません。
 ここに、外なる悪と内なる悪の違いがあります。

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