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1月10日(火) [矛盾について(その525)]

 「欲しがり虫」と「怒り虫」と「愚痴り虫」。
 これらの虫どもを刺激する外界の状況こそ「外なる悪」です。この「外なる悪」がなければ虫どもも中で大人しくしているのですから、できるだけ早く時代の悪の元凶を抉り出し、それを叩き出すことがいかに大事なことかは言うまでもありません。そして「外なる悪」がきれいさっぱり叩き出されてしまえば、そのときこそ浄土の教えなんてもう用済みになるのかもしれません。ただ忘れてならないのは、「外なる悪」を叩き出す途上において、ぼくらは依然として「内なる悪」に悩み続けなければならないということです。
 悪と闘うというとき、ぼくらはともすれば善であるかのごとく振る舞います。悪と闘うんですから、こちらが悪であっては具合が悪い。
 しかし外なる悪と闘うぼくらも内なる悪を抱えているのです。これを忘れるとき、おかしなことになるのではないでしょうか。昨年の原発事故のことが頭に浮かびます。原発事故を起こして、途方もない被害をもたらしたのは東電ですから、東電が悪いのは言うまでもありません。謝罪のため避難所にやってきた東電の社長に「土下座しろ」と叫んだ被災者がいました。怒りの気持ちは分かります(などと言えば、おまえに分かるものか、と言われるかもしれません)が、その言葉には何か強い抵抗がありました。何か違うと思いました。
 何が違うのか。

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